カワなかjuku

田舎の塾の人です。

英語の発音

 

現在、大学入試の英語に関する反対の運動が話題になっています。贔屓目に見ても、現段階でのプランには問題点が多すぎます。そういった入試改革の裏では、スピーキング、や、四技能、などが叫ばれています。発音が出来なければならない、と思うことは無いものの、英語の学習をする以上は最低限の発音は出来て欲しいと思います。発音とは、どの程度の距離感で付き合えばいいのでしょうか??

 

英語の発音はやはり日本語とは大きく違います。実はこの、発音に関して、僕には苦い経験があります。僕が中学生の頃などは、発音はカタカナ表記がほとんどでした。昔からある語呂?のようなものですが、"What time is it now?"は「掘った芋イジクルな」、waterは「藁」と言っておけば通じるなどと言われた記憶があります。かなり無理矢理な気もしますが…。まあ昔はネイティブの発音を聞く機会も多くなかったため、「ふーん」と受け入れられていたのではないかと思います。僕はそうでした。何か違うよな、と思いながら、そんなものか、と。そして中学2年になる時にようやく気づいたのです。「音が違うのではなく、そもそも口の形が違う。英語はカタカナで表せるものではない。」当時の僕は雷に打たれたような衝撃を受けました。

しかし、現在は違います。沢山のCDや外国人が近くにおり、英会話スクールに通う生徒も少なくありません。もはや、上の例のような語呂は子供でも「何かちがうよ!」と気づきます。発音だけだと、指導者より上手な生徒も増えてくるかもしれません。

 

あまりにも発音出来ない弊害

発音を完璧にする必要はないと思っています。しかし、繰り返しになりますが、最低限の発音は出来るようにしておくべきでしょう。

僕が考える弊害は以下の通りです。

1. 文が読めない(単語は当然)

2. リスニングが聞き取れない

1番についてですが、文を読むときは、声には出さなくても頭では音読しています。これは日本語を読むときも同様です。ですので、カタカナ発音すら全く出来ない生徒にとっては、文がもはや「記号」にしか見えないのでしょう。もはや文法以前の問題です。英語を勉強出来るスタートラインにすら立てない恐ろしさもあります。

逆に発音に懲り過ぎるあまり、綴りが疎かにならないようにすることも大切ですが。英会話スクール出身の生徒に見られる傾向です。

 

発音記号の問題点

発音を学ぶときに発音記号を活用することは、実際の音声に次いで有用です。ただし、条件があります。まず、発音記号を覚えてもよい学年だということ。もう一つは、昔の僕のようではなく、口の形の違いを理解していることです。発音記号を覚えてもよい学年というのは、僕の感覚では、得意な生徒で中学2の半ば、平均的な生徒で高校1年の段階ではないかと思います。中学1年から発音記号に触れるのは良くありません。アルファベットや単語など、最初に覚えることが沢山あるからです。また、分かりにくい、という難点があります。そこでよく使われているのが、フォニックスです。

 

フォニックスの問題点

フォニックスとは、「発音と文字の間の関係性を学習するための学習法」です。定義は曖昧ですが、例えば簡単なものだと、 c は「ク」「ス」と発音する、といったようなものです。カタカナよりも英語らしい発音を学べます。しかし、こちらにも問題があります。それは、ルールが多すぎることです。例をあげると、readにもbreadにも共通してeaが入っていますが、発音は全く違います。これら全てのルールを覚えるくらいなら発音記号の方がよほど数が少なく、応用が利きます。そもそもルール化して片付けられるものでは無いという認識です。

 

カタカナでよい発音もある

英語の発音全てが、カタカナと全く違うというわけではありません。ほとんど日本語と同じ発音も多く存在します。ですので耳が良い中1の段階から、日本語とは全く違う発音だけを、簡単なものから少しずつ出来るようにするといいと思います。僕は一度見れば納得できる、簡単な記号に発音記号を置き換えて使用しています。この書籍からアイデアを貰いました。発音についてお悩みの方は一読されると、ヒントが得られるかもしれません。

 

「田尻悟郎の楽しいフォニックス」: 教育出版

 

 

 

まとめ

特に英語を習い始めたばかりの段階では、発音に凝る必要はないと思います。発音を褒めるにしろ指導するにしろ、そこで萎縮してしまう生徒も存在します。最初にある程度違いに言及した後は、時々のアドバイス以外は見守ることがベストかもしれません。必要なのは周りの目を気にせず存分に練習できる雰囲気です。スピーキング試験が導入されるから発音練習をする、というのでは楽しくありませんよね。最初は楽しむところからスタート出来るといいですね。今回もまとまりの無い文章となってしまいましたが、ご容赦ください。最後までご覧いただきありがとうございました。

 

 

カワなか

体験での体験

 

今回は僕の少ない経験の中から1つお話したいと思います。

 

僕がいる塾では集団授業を行っています。体験もあるので様々な生徒と会います。基本的には体験を受けた生徒の多くは入塾してくれます。これは地域性などの要素があってのことだとは思いますが。勿論、入塾しない生徒もいます。自分に合った塾を見つけられたらいいですよね。

 

さて本題です。中3の英語を担当している時のことでした。ある生徒が体験に来ました。勉強はあまり得意ではない生徒です。短いですが体験の期間中に2回英語の授業をする機会がありました。その生徒は入塾すると聞いていましたが、土壇場になって入塾を辞めました。どうしたのかな、と思っていたところ、後日その生徒から手紙を受け取りました。内容は入塾しなかった理由について書かれていました。理由は、「授業で人数が多いことに慣れず、集中出来なかった」との記述がありました。続けて「少人数の塾に入るつもりだが、英語の授業はとても楽しかった、入塾はしないが、苦手な英語も頑張っていこうと思えた」という内容でした。

 

授業を、どんな短い時間たりとも手を抜かないことは当然です。そのつもりで、それまでも授業をしてきました。たった1時間の授業でも生徒に与える影響は計り知れません。この生徒に僕が授業をした時間はたった2時間程度です。しかし、この時に、一回の授業の重みを身をもって知りました。その後、その生徒と仲の良い塾生からの情報では、あれ以来真剣に取り組み、現在も英語を頑張っているようです。残念ながら嬉しさは感じませんでした。当時僕が一番に感じたのは「怖さ」です。

 

英語に限ったことではないと思いますが、生徒を勉強嫌いにするのはいとも簡単です。すぐに嫌いになれます。僕は少しでも科目の面白さを知って欲しいと思い授業をしています。もしあの場で点数だけを求める授業をしていたらどうなっていたでしょう?無理矢理覚えさせる指導をしていたらどうでしょう?あの生徒は変わっていなかったと思います。僕が、無理矢理やらせる、大量の宿題を出す、点数だけ追い求める、といった指導をしない、という方針を改めて固めた瞬間です。

 

勿論ある程度の結果は求められます。綺麗事無しで言うと、多くの塾はそんな状態です。中には結果が全てだ、という塾もあります。講師はコマなのでしょう。僕も上手く使われている、という見方は否定出来ません。この構造には憎むべき側面もあります。そんな中で無理矢理勉強させることは簡単です。言ってしまえば誰にでも出来る方法ですよね。しかし僕はそれが最善策ではないと思います。そんな指導法を取らなくても、彼ら自身が面白いと感じ、やってみたいと思える、そんな授業を探し続けていきたいです。種を蒔き続けていきます。結果は指導者が求めるものではなく、指導者に付いてくるものだというのが持論です。まだまだベテランの先生方には及ばない部分もありますが。入塾はしない生徒でも、一度は僕の授業を受けています。僕は彼らも教え子のように思っています。単に期間が短いだけ、だと。

 

 

以上が僕の体験談です。

読んでくださってありがとうございました。

 

カワなか

 

 

公式は名画

 

今回は高校数学の公式についてです。公式の扱いは指導者によってかなり違うと思います。僕自身は現役の時には、頭でサッと導出して使っていました。勿論、最低限の形は頭に入っていたので出来てましたが…。しかし、これが原因で失敗したことも多々ありました。その経験も踏まえてまとめていこうと思います。

 

失敗の原因

何がダメだったかというと、

「余計な所に頭と時間を使ってしまう」

です。理系を選択した生徒ならば、数学は文系よりも難易度の高い問題が出題されます。問題自体も多方面から考えて解かなくてはいけない。そんな時に導出を考える余裕と力がない局面に度々遭遇します。答えに辿り着けないような取り組みはダメですよね…。また、文系理系共通で言えることもあります。センター試験です。時間との勝負の中、いちいち導出している時間はありません。どんな問題でどの公式を使うか?という練習も、多少なりとも必要なはずです。当時の自分は、ここが分かっていませんでした。「毎回納得してからでないと使ってはいけない!」なんて変な思い込みがありました。

 

綺麗なものは綺麗だと思う

数学の公式は本当に綺麗な形のものがほとんどです。導出途中がいくら面倒くさくても、それと比較すると、かなり綺麗な形になります。まずは、綺麗だと思う。名画や絶景を見た時のように。そして使ってみる。解いてみる。そこからスタートだと思うのです。いきなり導出に触れる必要はそこまであるとは思えないのです。考えることが好きな理系の生徒であれば、後で自分で導いて納得します。逆に言えば、導出過程に全く興味が持てないのであれば理系を選択すべきではないのかも知れません…。兎に角、新しい公式が出てきた時には一旦「すごい!キレイだ!」と受け入れて、使ってみてはどうでしょうか?最初から、納得出来るまで拒絶していては悲しいです。勿論、導出の背景に重要なポイントが隠れているものもあります。ありますが…道具の特徴や説明を知っていても、実際に使えないのでは話になりません。以前にTwitterでも述べた通り、数学の学習者全員が数学者を目指す訳ではないのですから。使えるように練習することが第一ステップだと思うのです。

 

まとめ

今回書いたことはあくまで第一段階の話です。超難関大の二次試験で数学が必要であるならば、違った練習も当然必要です。しかし、僕のように毎回導出を考えながら解いているようでは、余程の量の練習を積まない限りIIB以降で手が止まってしまう可能性が高いです。導出過程をほとんど知っておく必要がない公式に関しては、使えることが優先事項、興味がある人だけ、後から納得すれば良い。そう思います。公式とうまく付き合っていけるといいですね。

 

「導出を  全てに求める  公式の

   使い方すら  覚束ない様」

 

カワなか

 

 

「なんで?」って何で?

 

敢えてこんなタイトルにしてみました。今回僕が考察したのは、生徒の「なんで?」という質問に対してです。中学から高校まで見ていると、毎日多くの質問が飛んできます。質問は、あるあるだね〜、と思うものも多いですが、そんな所に気づいたのか!、そこまで考えられたのか!、と成長を見られるものもあり、大切にしています。ごく稀に、他所で間違いを習ってきて違和感を感じての質問があり、修正作業になったりもしますが…。どのような質問でも、生徒との大切なコミュニケーションです。

 

ところが、生徒からの質問は大歓迎なのですが、中には相手にしない質問もあります。非常に厳しい言い方ですが。あくまで質問自体を相手にしない、ということです。質問されたからといって、何でもかんでも答えるべきではない、そう強く思います。なぜその質問が出たのか?、そこまで考える必要があります。

 

知的好奇心から出る「何で?」

知りたいタイミングを逃さない事は重要です。調べる手段は教えて、ツールも与えてあるので、質問の多くは、知りたくて調べたのにわからないこと、が大半です。若しくは、自分では判断のつかないものです。どちらも、知りたい、という知的好奇心から出てくる質問です。この類の質問には丁寧に即座に対応します。そして、質問することで生徒の興味が増すことも多くありますし、何より指導者自身の勉強にもなります。

 

逃げの「なんで?」

相手にしない質問というのは、生徒の「逃げ」が見える質問です。その質問には絶対に答えません。ですが、アルバイトの講師、中には社員でも答えてしまっている人を見受けられます。しかし、それでは生徒の「逃げ」を助長してしまうだけになってしまいます。

 

逃げの「なんで?」とは?

逃げの質問、というと具体的にどのようなものでしょうか?種類は色々あるでしょうが、ここでは2つの例をあげてみます。

1つ目は、難易度が高すぎるが故の「なんで?」です。勿論、順序立った説明があることが前提条件です。それがあっても、なんで?なんで?、と口をついて出るのは、その分野の前に絶対に躓きがあります。基本的な事を理解してない、覚えていない、そんな状態で先のことは分かるはずがありません。戻ってもう一度確認すべきです。しかし小さなプライドが戻ることをなかなか許さない時もあります。そんな時に、どうしても口をついて、なんで?、と言ってしまうことがあるでしょう…。そんな、なんで?、に面と向かって熱心に説明したとしても永遠にループになります。だからこんな質問は相手にしません。そこからどう意識を変え指示を出すかは、指導者の腕次第、ということになるのでしょう。

 

2つ目は、これが一番言いたいことなのですが、暗記からの逃げ、です。多くはこれに該当すると思っています。どの科目でもそうですが、最低限の暗記事項は存在します。ですが、暗記を出来るだけ避けたい、どうにかして楽に済まそう、と暗記をすることから逃げようとする生徒もいます。そんな生徒の多くは基本事項すら暗記出来てない段階です。本人の意識無意識は別として、「これ先生は説明できるのか?」という検討違いな挑戦のような考えもあるかもしれません。そこで指導者が説明出来なければ、本人の中では暗記しなくてよい理由にもなり得ます。仮に説明したとしても、オレは理解出来てない!、と、こちらも逃げの理由になります。下手に答えるようなことをすると、かえって逃げの助長になるわけです。このように、自分の一番弱いところを見ず、するべき事から逃げているだけの場合もあります。

 

暗記

ここから話を発展させると、現在の、暗記より理解を!、という風潮は如何なものでしょうか…?暗記をイヤがる人の多くは、基本的な暗記をしようとすらしない人たちです。勉強の基本は暗記です。暗記というと反感を持つ方もいるかもしれませんが。パターン、経験、慣れ…言い方は色々ありますが、一言で言えば全て暗記です。私は英語をメインに指導しています。英単語も暗記です。確かに日本語と一対一で丸暗記することに対しては良く思っていません。ですが、前から流行っている、イメージばかりで覚えようもすることも良くないと思います。英単語も突き詰めれば、日本語に当てはまらないことの方が多いでしょう。何せ国も習慣も全く違う人たちの使う言葉です。完全に理解しようとすれば、現地に赴き、たくさん読み書きするしかありません。つまり感覚なわけです。それをある程度理解するのならば、近い日本語に置き換えることは一種の妥協点です。その一対一の訳も覚える力を無くして、イメージや感覚を掴めるのでしょうか?ましてやそれらを覚えて使えるでしょうか?…疑問が残ります。

 

まとめ

私が相手にしない質問というのは、要は、生徒が自分の弱さから逃げている質問です。2つの例をあげましたが、どちらも自分の弱さから逃げようとして出る、なんで?、です。中でも暗記からの逃げは、かなりの割合を占めると思います。もちろん、指導する側として、暗記の量が減るような工夫はすべきでしょうが、それを前面に出して、基本事項の暗記すら出来ていない生徒に伝えることは良くないでしょう。そんな逃げから出てくる質問には答えるべきではないのかも知れません。

 

今回は「なんで?」という質問を、何故?、するのか、という内容で書いてみました。最後までご覧いただきありがとうございます。

今後ともよろしくお願いします!

 

カワなか

 

 

 

 

よく使う授業の参考資料です

 

よく使う参考資料をご紹介しようと思います。中学英語がメインです。塾専売のテキストはありますが、それ以外の書籍です。では早速。

 

まずこちら。

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生徒は全員持っています。強制はしていませんが、初級クラウンを使っています。例文も豊富で、英語初学者は1番使いやすいかな、と感じています。他の辞書から乗り換えて使っている生徒も…。ゴホッ。

 

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続きまして。苦手な生徒はこちらで練習したりしています。自習には最適です。中3でも、2年のテキストとなると曖昧な箇所がある生徒も出てくるので大活躍です。もう少し量があれば…。現在英語で悩んでいれば、今すぐ本屋に行って取り組んでみては??

 

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中学生用の読む教材って意外と少なかったり、内容が面白くもなかったり。そんな時に参考にしています。NHKのテキストです。昔話の英語版などは、生徒もあらすじを粗方知っているのであまり苦になりません。会話にもよく狙われる表現が使われています。

 

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身近で使う表現が豊富にあります。意外と知らない表現が載っています。これは僕が参考にしているだけです。生徒が、使う場面を知りたい時などにポロっと紹介します。

 

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こちらも僕の読み物です。主に中1の指導で参考にしています。英語を習いたての時期は簡単な会話表現も知りたがったりするので、そんな時に役に立ちます。短いフレーズの会話表現がたくさん載っています。文法が疎かにならないように注意が必要です。

 

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長文読解の練習として、英検の過去問を使っています。少し簡単な文章を多く読んで欲しい時に活用しています。過去問の演習の前に取り組んでみると、少し楽になるかもしれません。文章は大切に!音読もしています。リスニング問題にも時々取り組みます。

 

ご覧頂きありがとうございました。ぜひぜひTwitterのフォローもお願いします。

では。

 

 

 

 

あいさつ

 

今回は挨拶についての話です。

書いているうちに、生徒に話すような内容になってしまいました…。踏まえて読んで頂ければと思います。

 

挨拶が出来ない子供は残念です。しかし大人で挨拶が出来ない人は本当に残念に感じます。僕の感覚では店員さんにも一言挨拶はすべきだと思っています。偉そうな態度をとるのはやめて欲しいですね。

 

挨拶をしよう

挨拶をしましょう。

朝人と会った時、廊下で先生とすれ違う時、何かをしてもらった時…。必ず相手に気持ちを伝えるような人になって欲しいです。落ち込んでいる時も、あぁしんどいなぁ、と思う時でも、相手には関係ありません。挨拶をしないことは関心がない、マナーが出来ていない、と取られます。相手との溝を自分から作っているようなものです。いくら恥ずかしがり屋だろうが内気な性格だろが、そこは関係ありません。小学校低学年ならまだしも、中学生にもなってそう思っているのならばそれは「甘え」です。ここを勘違いしている人も多いような気がします。また、多少言葉遣いを間違えても、毎回気持ちを伝える挨拶が出来ていれば相手は不快には思いません。

そして挨拶をする際には適切な言葉を使いましょう。「すいません」とばかり言ってないですか?お礼の挨拶は「ありがとう」です。そしてお礼は、してもらった時、と、次会った時、の最低2回は相手に伝えたいですね。マニュアルではありません。大嫌いなので。でも、自分がいくら感謝していてもきちんと相手に伝えることは困難です。何度も言葉にして相手に伝えるしか方法はありません。

 

苦手な科目の先生にこそ積極的に挨拶を

苦手な科目を克服する第一歩は、その科目の先生に挨拶することです。先生も1人の人間です。一言、こんにちは、と言うことで、先生も自分のことを気にかけてくれるようになるかも知れません。また先生との接点が増えることで、未知の知識を知れたりすると、先生、延いてはその科目が少しずつ好きになっていくこともあるでしょう。当然、そのチャンスは挨拶出来る人の方が多いわけです。嫌いな原因が、知らないから、つまり「知らず嫌い」も結構あるのではないでしょうか?

 

挨拶はマナーです。しなければ自分が損をするばかりでなく、相手との間にも溝を作ってしまいます。逆に言えば、自分がキツい状況でも笑顔で挨拶が出来る人は、好印象で多くの人から好かれ、助けられます。それは、これが出来る人自体が少ないからです。そんな人はきっと身近にいるはずです。これが魅力の根源だと思います。

 

最後までご覧いただきありがとうございました。

 

カワなか

 

 

宿題反対の考え

 

最初にザックリと僕の考えを言うと、

「宿題には反対」

です。これは僕のブレない考えの1つです。

僕は宿題を出しません。

塾で指導してる立場から見た考えを順を追って述べていきたいと思います。

 

 

なぜ「宿題」があるのか?

 

そもそもなぜ宿題があるのでしょうか?

復習の機会を設ける、学習習慣をつける…といったことが多い理由でしょうか。

確かにその通りです。

勉強がいざ必要になった時に宿題で基礎を固めておくとスタートダッシュが違ってきます。また、学校の宿題の場合、成績に関わるとなると取り組まざるを得ません。そこで学習時間は少なからず確保出来るでしょうし、義務教育の観点ではやらせざるを得ない部分もあるかと思います。

 

しかし、指導している側からすると、「教える側の都合」が盛り込まれている宿題も多いように感じます。

 

まず、塾にも学校にも共通して言えること、それは「教える側の逃げ道」としての宿題もあるということです。これは自戒も込めてですが、指導者の力量不足を補うためのに出している、そのような宿題の割合を多く感じます。

例えば、新高1生の春休みの数学の宿題は、教科書の最初の約20P分の内容は自主学習、そんなものです。最初にはかなり大事なポイントも存在します。考えられた授業であれば4〜5時間の内容なのですが…。果たして本当にそこまで時間がないのでしょうか…?

塾においても、方針が成果主義一本ならば、講師にはかなりのプレッシャーです。この場合、宿題は保険としての機能があります。「こちらとしては宿題も出しましたし…本人の努力不足ですね…」といった具合です。また、激戦地区では生き残るため、実績を残すためになんとしてもやらせねば、そんな考えがあるのも不思議ではありません。

 

あくまで一例ですので、全ての塾や学校に当てはまるわけではありません。しかし、こういった背景が存在するのも事実です。

 

 

宿題の弊害

 

宿題に反対の理由は主に2つあります。

以下の通りです。

① 本人の意識がなければ効果は薄い

② いつまでも自立しない

 

① 本人の意識がなければ効果は薄い

基本的に、本人の意識がないのならば、宿題は子供にとって単なる「イヤなもの」です。そんな状態でこなした勉強は絶対に身につきません。これが僕の意見です。一時的な補強程度になればラッキーでしょうか。目を背けがちですが、これは大人でも同じではないでしょうか?

宿題を強制することによって、その後にやる気になるタイミングを潰してしまうことも十分考えられます。自ら伸びるチャンスを奪う危険性もあるのではないでしょうか。

 

② いつまでも自立しない

意識が向いたとしても、与えられることに慣れてしまった生徒は、そこから解放された瞬間、何をすればいいのか分からなくなる可能性が考えられます。自分で、今何が必要か?、そう考える機会を奪われたことによる弊害です。特に中学高校受験の学年でよく見受けられます。合格後もいつまでも宿題待ち指示待ち…。停滞しちゃいますよね。例え難関と言われる学校に合格しても、これでは自立からはかけ離れてしまいます。子供のそんな姿を望む大人は少ないでしょう。

 

 

適切なアドバイス

 

僕が宿題を出さないことは最初に述べた通りですが、授業以外で何もしていない訳ではありません。

僕が行うのはアドバイスです。

生徒から質問がきます。「〜が苦手だけど、どうしたらいい?」そのタイミングで今行った方が良いことを伝えます。すると生徒は自分で動き始めます。後は他教科とのバランスや量を相談しながらじっと待ちます。相当マズい状況ではない限り、余計な手出しはしません。

そもそも質問が的外れな時もあります。その場合には、気づけるヒントを出して、考えてもらいます。

そんな指導を心がけています。もちろん、生徒がやる気になれるような仕掛けを授業では取り入れています。そこが物凄く難しいのですが…。

 

 

まとめ

 

まとめになりますが、様々な意見があるでしょうし、違った信念のもと出されている宿題も多くあります。

元を辿れば、勉強は絶対しなければならないのか?、この意見から宿題への考え方も異なってくるはずです。

宿題を出すのであれば、指導者が本気でぶつかっていく授業が前提だと思います。好きな言葉に、「生徒は教師を見る」があります。生徒のやる気がない、ダラっとしている…原因は彼らだけにあるのでしょうか…?

 

宿題以前に指導者が考えなければならない部分もあるのではないでしょうか、そう感じます。

 

最後までご覧いただきありがとうございます。

あくまで1つの意見として捉えてくださればと思います。ご意見のある方はお寄せください。それでは、また。

 

 

カワなか