カワなかjuku

田舎の塾の人です。

体験での体験

 

今回は僕の少ない経験の中から1つお話したいと思います。

 

僕がいる塾では集団授業を行っています。体験もあるので様々な生徒と会います。基本的には体験を受けた生徒の多くは入塾してくれます。これは地域性などの要素があってのことだとは思いますが。勿論、入塾しない生徒もいます。自分に合った塾を見つけられたらいいですよね。

 

さて本題です。中3の英語を担当している時のことでした。ある生徒が体験に来ました。勉強はあまり得意ではない生徒です。短いですが体験の期間中に2回英語の授業をする機会がありました。その生徒は入塾すると聞いていましたが、土壇場になって入塾を辞めました。どうしたのかな、と思っていたところ、後日その生徒から手紙を受け取りました。内容は入塾しなかった理由について書かれていました。理由は、「授業で人数が多いことに慣れず、集中出来なかった」との記述がありました。続けて「少人数の塾に入るつもりだが、英語の授業はとても楽しかった、入塾はしないが、苦手な英語も頑張っていこうと思えた」という内容でした。

 

授業を、どんな短い時間たりとも手を抜かないことは当然です。そのつもりで、それまでも授業をしてきました。たった1時間の授業でも生徒に与える影響は計り知れません。この生徒に僕が授業をした時間はたった2時間程度です。しかし、この時に、一回の授業の重みを身をもって知りました。その後、その生徒と仲の良い塾生からの情報では、あれ以来真剣に取り組み、現在も英語を頑張っているようです。残念ながら嬉しさは感じませんでした。当時僕が一番に感じたのは「怖さ」です。

 

英語に限ったことではないと思いますが、生徒を勉強嫌いにするのはいとも簡単です。すぐに嫌いになれます。僕は少しでも科目の面白さを知って欲しいと思い授業をしています。もしあの場で点数だけを求める授業をしていたらどうなっていたでしょう?無理矢理覚えさせる指導をしていたらどうでしょう?あの生徒は変わっていなかったと思います。僕が、無理矢理やらせる、大量の宿題を出す、点数だけ追い求める、といった指導をしない、という方針を改めて固めた瞬間です。

 

勿論ある程度の結果は求められます。綺麗事無しで言うと、多くの塾はそんな状態です。中には結果が全てだ、という塾もあります。講師はコマなのでしょう。僕も上手く使われている、という見方は否定出来ません。この構造には憎むべき側面もあります。そんな中で無理矢理勉強させることは簡単です。言ってしまえば誰にでも出来る方法ですよね。しかし僕はそれが最善策ではないと思います。そんな指導法を取らなくても、彼ら自身が面白いと感じ、やってみたいと思える、そんな授業を探し続けていきたいです。種を蒔き続けていきます。結果は指導者が求めるものではなく、指導者に付いてくるものだというのが持論です。まだまだベテランの先生方には及ばない部分もありますが。入塾はしない生徒でも、一度は僕の授業を受けています。僕は彼らも教え子のように思っています。単に期間が短いだけ、だと。

 

 

以上が僕の体験談です。

読んでくださってありがとうございました。

 

カワなか